「日本人の美人の基準、厳しすぎないっ?」って私は思う。肌は白い方がいいとか、体重は50kg超えたらいけないとか、目は二重だとか、顔が小さいだとか、永遠と美人への条件がある。こんなにたくさんの条件、当てはまらない方が普通なのに、これらの基準をもとに自分可愛くないって思っている人たくさんいるのではないか?
インターネットで街中インタビューを見ていても、自分の顔に8点以上をつける人はなかなかいない。もちろん、社会が多くの基準を女性に押し付けているのだから、ほとんどの人は自分に自信を持つことが難しいのも分かる。だけど一度、自分は美人でないと落ち込む前に、日本社会の美の基準に疑問を抱いてほしい。
英語では美の基準のことを「Beauty Standards」という。
日本に独特の美の基準があるように、国によってBeauty Standards は違う。南米の国の多くは、お尻が大きい女性を魅力的だとする。ヨーロッパや北米の女性の間では、肌を焼きこんがりとした色にするtanが魅力的である。そのほかにも、北米の歯並びの綺麗さ、小さい鼻が魅力的だとする国など様々だ。このように、一定の特徴が好まれるBeauty Standardsが存在することは否定できないが、人種が交わる北米には美に対する特別な考え方がある。
それは、皆それぞれの「美」があるということ。どんなに体重が重くても軽くても、二重でも一重でも、鼻が小さくても大きくても、どのような特徴を持った人でも、皆美しいというのだ。私はこの考え方がとっても素敵だと思う!
北米では、多くの人が幼い頃から「あなたは美しい」と親や先生、親戚から褒められる環境で育つ。だから、社会の美の基準はあれど、それは自分が美しいかとは全く関係ないと考えるのだ。Beauty Standardsに沿わなくても、自分が美しいと考えれば、美しくいれるのだ。
そんな社会で生きる彼らは、世間の目を気にして服装や見た目を決めたりしない。どんなに体重が重くても、ミニスカートを履くし、お腹を出す服装をしてもいい。そして誰もそれを指摘したりしない。なぜなら、自分はどういう格好でも美しいし、自分の好きな服を着てHappyな時こそ、最高に美しいから!
留学後日本に帰国し、私も美の基準が変わったのだと気付かされた。「皆美しい!」という価値観の社会で一年過ごし、行動も考え方も全て変わっていた。日本では絶対に履かなかったミニスカートを履いた。お腹を出すファッションもした。可愛すぎると思っていたリボンもつけ始めた。メイクも、髪の毛も全て自分がしてみたかったことをした。
自分の好きなものを着て、自分は綺麗だと思えることは幸せだった。着痩せのために服を選ぶのではなく、自分が好きな服を着るというのは、思っていた以上に私に活力を与えた。大嫌いだった自分の体型も、少しずつ受け入れることができた。気に入らなかった鼻も少しずつ自分の一部として好きになることができた。少しずつ自分の価値観が変わっていき、自分がどんな姿でも綺麗だと思えた時、肩から荷が降りたように人生が楽になったように感じた。
自分のことを綺麗だと思えることは、毎日の活力になる。行きたくない大学もバイトも、好きな格好をして自分が綺麗だと自信が持てると、不思議と頑張れる。「美しい」ことがこんなにも生きる活力を与えてくれるのだから、一人でも多くの日本人の女性に自分は美しいって思ってほしい。
日本でもBeauty Standardsとして、肌の白さ、目の大きさ、スタイルなど基準があってもいい。ただ、自分がその美の基準に沿わなくたって全然いい!ってことを知ってほしい。
自分は美しいって思えた時に、人は一番美しいのだから。